忍者ブログ

[PR]

2024.04.25 - 
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

難しいは楽しい

2009.12.18 - VisionS
2009秋季東京操体フォーラムにて発行されたVisionSより


操体では、言葉の統一という事が言われます。臨床の場において、普段の生活において、適切・不適切な言葉が存在するという事です。「難しい」という言葉も、講習の場(学びの場)においては、使用が制限される言葉の一つです。受講生の口からその言葉が出ると、三浦先生から一喝される場面が幾度か見られました。

これは、当人がその言葉をどう認識するか、という事も関わってくると思いますが、マイナスに取られ易い言葉だという事ですね。手技療法では、プラスの言葉を用いる、用いさせる、というのがセオリーですが、操体においても同様です。

ところで、一体、「難しい」という言葉はマイナスな言葉だけでしょうか。というのは、筆者にとって、この言葉は必ずしもそう捉えてはいないのです。個人的なイメージなのですが、「難しいは楽しい」なのです。

難しいことってわくわくしませんか。橋本敬三先生も、真摯に学ぼうとする相手には「こんな難しい事に足をつっこんでしまったなあ。でも、操体は面白いぞ、一生楽しめるからな」とおっしゃっていたそうである。

そうなのである。難しいからこそ楽しいというものもある。学べば学ぶ程、新しい課題が出てきたりして。でもそれを味わうことさえできれば、生涯楽しい思いもできるのである。橋本先生をはじめ、諸先輩方の楽しい学びのお陰で、操体は日々進化(深化)している。まさに深甚な世界である。(ちょっと使ってみたかったのです。)


私事ですが、この初夏に、故郷鹿児島に帰省して来ました。前回からかれこれ四年目の帰郷になります。鹿児島だと、なかなか気軽に帰ってみようかな、というのが出来にくい土地でもあります。

今回、幸いにも長めの休暇を取ることが出来た為、電車で帰ってみたいとの思いが沸き上がりました。旅の情緒を味わうには、思い込みですが、ローカル線と駅弁は外せないな、と考えたのです。電車の旅というものを経験した事が無いので、ちょっとした憧れでもありました。

性分もあり、当初は予定を立てずに、気ままに途中下車の旅にしようかと思っていましたが、何かの際にその話をした所、そこは実行委員の情報網の素晴らしさというか、話が一人歩きを始めました。


お泊まり会(実行委員の勉強会は開始時間が早い為、前泊組が存在します)の時、
福田さん「日程とかわかれば調整しますので、決まったら連絡下さい。」
休憩中の一服タイムで、
西田さん「辻君て、鹿児島帰るんでしょ?途中秋穂さんとこ寄ったりするの?」
辻「えっ。」
三浦先生「そりゃあ行くさ。なあ?」


とんとん拍子に決まり、東京→広島→島根→福岡→鹿児島→兵庫→東京という充実した旅程が出来上がりました。おかげさまで、各所にお世話になり、世界遺産他を巡る楽しい旅になりました。もちろん、治療所も見学し、勉強させていただきました。

地元では、墓参りや、親戚まわりでほぼ費やした形ですが、無事報告を終え、合間に懐かしい地を歩き、思いを新たにしました。夜は温泉に浸かり、自然、「仕事の方はどうなんだ」とかいう話題になったりするのですが、考えてみれば、この業界に入って以来、詳しい話をする機会が無かった気がします。

手技療法を素人に説明する、ましてや、操体を、というと一筋縄ではいかない事は周知のとおりであります。そこで、翌朝(出発の日だったりするのですが)実際に操体を受けて貰う事にしました。これも親孝行のうちですね。

最近調子の悪いとことか気になる箇所が無いか尋ねると、無いと言う。いや、無いに越した事はないのだが、それでは話が終わってしまう。という事で、さらに尋ねてみると、左の膝の内側が痛いという程ではないが気になると言う。客観的にも、右の肩甲骨が気になるので、左の足底を触診してみると、中央付近に硬結と圧痛がみられた。そこで、動診、操法に入っていく訳ですが、幾つかやってみたところ、「こういうの普段やってるよ」と言い出した。

父はアナログな人間で、携帯電話も持ちたがらないし、パソコンも壊れて以来買ってもないし、操体の事など知る由もないのだが、健康オタクとはいかないまでも、いろいろ興味を持って研究している様である。
実際に普段のメンテナンスのやり方を見せて貰って驚いた。操体、しかも、第二分析にそっくりだったのである。いや、厳密に言えば違う点はあるのだが、ちゃんと快適感覚をききわけている。

違う点は、たわめの間が不明確な所と、対になる動きをどちらもやっている所であった。(気持ちの良さがあるならそれはそれでいいのだが)
さらに、「気持ちのいいようにやってみてる。それが原理だと思ってる」と言い切ったのである。
これには少なからずショックを受けた。般若身経の説明等もしてみたが、しょうがないので、足趾の操法と足底の圧痛点に渦状波だけやる事にした。無意識の動きが出て来たところで食事の用意が済んだようだ。


理に適っているという事は、最終的にはそこに行き着くという事でもあります。
操体が単なる治療法ではなく、息食動想と環境を含めたより大きな体系だという事は有り難い事だと思います。

「『はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった』と、ヨハネ伝福音書にはしるされている。たしかに、はじめにことばがあり、ことばは神であった。しかし、ことばが神であったのは、人がことばによって神を発見し、神を作り出したからである。」(「漢字」   -白川  静-)

最近興味があることに、言葉と音があります。古い時代に、言葉はどういうものであったのか。文字の発明以前の長い間、言葉は存在し、言葉は音であった。

「声発って虚しからず、必らず物の名を表するを号して字という。名は必らず体を招く。これを実相と名づく。」(「声字実相義」   -空海-)

かつて言葉(音)には魂が宿ると信じられており、全宇宙は一大言語体系であり、現象は言葉であると考えられていた。
現在では、過去の時代に言葉が本来持っていたであろう意味は忘れられてしまっているが、「言葉は運命のハンドル」と言うように、口にした当人にも影響を与えたりする。実際に、音(言葉)は快・不快を伴っており、操法としてとおす事も可能である。

しばらく楽しんでみようか。

「ものの名前というものは、それがふさわしい名前であるなら、よし聞かずとも、ひとりで判って来るものだ。私は、私の皮膚から聞いた。」(「玩具」   -太宰  治-)


辻知喜(つじ ともき) 東京操体フォーラム実行委員 いずみ操体研究所


PR

TrackBack

TrackBackURL  :
 カレンダー 
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
 プロフィール 
HN:
辻知喜
性別:
男性
自己紹介:
鹿児島生まれ
東京在住
操体法の創始者橋本敬三氏の直弟子、三浦寛氏に師事。
東京操体フォーラム、いずみ操体研究所で活動中。

操体法東京研究会
東京操体フォーラム所属

立川、国立など、多摩地区を中心に、出張施術も行っています。

快妙道 いずみ操体研究所
http://www.kaimyodo.com/

【問い合わせ】

sotai@kaimyodo.com
メールはこちらから

http://twitter.com/tomoki_tsuji
 ブログ内検索 
 フリーエリア 
 アクセス解析 
 フリーエリア 




 フリーエリア